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町民と共に新たに蘇る。宮城県女川町のフィールドワークをレポート!

こんにちは!株式会社とけるの三川です。2024年4月13日に訪問した女川町フィールドワークをレポートします!

抜群の天気に恵まれた当日。東日本大震災の津波で大きな被害のあった町として知られる女川町ですが、着いてすぐにキラキラと光る海が出迎えてくれます。ここに住む人たちが海と共存していることが分かります。

女川町JR駅を降りてすぐ奥に海が見えます。

町民の力強い魂とストーリーが宿る女川町。昨年12月にも訪問しましたが、今回もまた新たな出会いと胸に残る気づきがいくつもありました。


女川町公式HP

今回は、女川町を拠点に特定非営利活動法人「アスヘノキボウ」を立ち上げ、現在は個人の能力を高める新しいキャリア「VENTURE FOR JAPAN」の代表理事である小松洋介さんに歴史や再生のストーリーを伺いながら、まち案内をしていただきました。

女川町は起業家たちが集まり、生まれた町だった

町歩きをしていただく前に、小松さんから女川町の歴史と震災後のまちづくりの背景を教えていただきました。

写真真ん中:小松さん、右:柴田、左:岡田

女川には江戸時代にも人が住んでいたそうですが、当時は「女川組」という名だったそう。1889年に「女川村」になり、1926年に「女川町」となりました。

女川が「町」になってからの歴史は想像よりも浅く、驚きました!

シーパルピア女川の市場に並ぶ女川産の魚

かつてから水産に恵まれたエリアで、その価値に気づいた人たちが少しずつ移り住み、事業を1から作って「町」が生まれたんだそう。まさに起業家たちがつくった町!今もなお「自分たちで事業をつくる、まちをつくる」という雰囲気が残っているらしい。

ちなみに女川の漁獲量は全国でも15番目(令和5年)に入るほど。(参考文献:石巻市HP)他のまちの人口が何万人もいるなか、現在6,000人ほどの人口でここまでの漁獲量・・・。すごいです!

「還暦以上は口出すな」未来を見据えたまちづくりが始まる

東日本大震災で女川町はまちの約70%の建物が壊滅状態になり、震災による死亡率は最も高い地域でした。

そんな中「女川は自分たちで守る」と立ち上がったのは、町内の経営者たちだったとのこと。震災直後、まちの経営者たちを集めて「女川町復興連絡協議会」が発足しました。

当時商工会会長だった高政の会長である高橋さんから「還暦以上は口を出すな」という声かけがあり、将来を担う若い世代に未来を託したのでした。

これまでの歴史を引っ張ってきた世代からのバトンタッチはなかなかできないものです。この言葉が還暦を迎える商工会長から出たものだと知ったときは、正直驚きました。

この一言をきっかけに世代、民間、行政の境界を超え、町内一丸となって復幸に向けて前に進むことになったと言います。

須田善明町長(写真左上)

夜のバーでお会いした須田町長は、震災後39歳で町長に就任されたとのこと。前任の町長が還暦を迎えていたこともあり、役場の中でも引き継ぎが行われていたことを知りました。

復興を進める中で、須田町長は関係各所の説明に足を運ぶことを怠らなかったと言います。「町民の質問に対して、自分が答えなきゃいけないものだから、直接会って話すべきだと思っていた」とのこと。丁寧に町民と対話を進めていたことを教えていただきました。

震災時の話以外にもたくさんお話してくださった須田町長。気さくで明るい町長に、とけるメンバーもたくさんパワーをもらいました!

胸に秘める想いは熱い。新たな挑戦者が生まれ、女川の未来を拓く

女川町は復興後、I・Uターンの移住者が増えています。女川の町づくりや人に惚れて来る人、企業も多いとか。

NPO法人アスヘノキボウでは、起業支援も行っています。挑戦者を発掘し、挑戦の足枷になるものは無くしていく。飛び込むタイミングはその人にお任せするというサポート体制。

地元の主婦さんが「まちをカラフルに彩りたい」という想いでスペインタイルの事業を立ち上げたり、Uターンをして「人をつなぐ場所に」とクラフトビールバーを設立した人もいます。

左:スペインタイル「みなとまちセラミカ工房」 / 右:クラフトビールバー「ガル屋Beer

「女川のために何かしたい」

女川で出会った人は、「自分」よりも先にまちや社会への視点を持っています。

そんな素敵な人たちのパワーが集約された女川町に終始感動し続けた2日間。

「震災復興時に国内外の多くの方々からたくさんのご支援いただいたので、隠すことは一切してません。活用できる部分はどんどん活かしてください」と女川町のまちづくりの全てを詳細に教えてくれた小松さん、本当にありがとうございました。

強く、楽しく未来を拓く力を学んだ今回の女川町フィールドワーク。全てを真似ることはできませんが、とけるとして参考になることがありすぎた滞在でした。

また、再訪することを楽しみにしています!